なぜ植物は自家受粉するのか

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中世の一部の貴族社会を除いて,近親相姦はほぼ全世界的にタブーとされています。 これは有害な劣性遺伝子が子孫に受け継がれていく確率が高くなるからだと言われております。 ギリシャ神話を除いて,近親相姦が積極的に行われている文化はないといってよいでしょう。 わざわざ神話を持ち出すまでもなく,近親交配を避ける傾向は自然界の様々な種で見られます。 (幼い頃から一緒に育てられた異性には性的興味を抱かなくなるという俗説もありますね。 これについてはどう思いますか? 私は男3人兄弟の中で育ったので,姉妹がおらず,このことが本当なのかどうか実感できません。 歳の近い従妹に対して,思春期の頃淡い恋心をいだいた経験はあります。 従妹ですから 4 親等離れているので,遺伝情報を共有している可能性は1/16程度。 まったくの他人に比べれば血は濃いことになりますが,はたしてどうなんでしょう)

遺伝子には,優性遺伝子と劣性遺伝子とがあるのはご存知のことでしょう。 例えば,茶色のひとみを持つ両親から,青いひとみを持つ子が生まれたりします。 これは青いひとみの遺伝子が劣性だからであり,優性遺伝子の方が発現するためである とされています。このようにすべての劣性遺伝子が有害であるわけではありません(青いひとみであろうとも生存にとって不利になることはありません。それどころか私などは,青いひとみ北欧の女性を見ると神秘的で美しいなーと感じてしまいます)。 かように,有害な劣性遺伝子はあまりないとも言えます。 しかし,逆は必ずしも真ならずで,有害な遺伝子のほとんどは劣性遺伝子なのです。 この理由は,優性の遺伝子はすぐに発現するため,自然選択の影響をもろに, 大きく受けてしまうからです。 こうして,ある遺伝子が有害であれば,そしてそれが優性であれば, すぐに個体群の中から消えてしまう運命にあるのです。 しかし劣性遺伝子であれば,優性遺伝子の陰に隠れていることができます。 家畜や観賞用植物のブリーダーは近親交配の危険性には気がついているはずですよね。

にもかかわらず,植物は自家受精をします。自家受精を行った場合, 父(雄しべ)と母(雌しべ)は遺伝的に同一ですから有害なはずです。 遺伝的な多様性を失った個体群は,環境の変化に適応する能力を失い, 全滅の危機にさらされることにもなります。 では,なぜ植物は自家受粉するのでしょうか?今回はこのことを考えてみたいと思います。

この文章を書くにあたって軽く調べてみましたが, 受粉の仕組み,有性生殖と無性生殖,優性遺伝と劣性遺伝などは, 高等学校で学習した人もいるかも知れません。 また,自家受粉を防ぐ仕組みを発達させている植物もありますので, 全ての植物が積極的に自家受粉をするとは言えません。 ですが,自家受粉する可能性がある植物の生殖では, 遺伝的に不利な自家受粉が,なぜ進化の淘汰圧を受けてもなお生き残ってきたのか, という問いは考えてみるに値すると考えますので,ここで取り上げた次第です。

このことに答えるには,自家受粉すると何が良いことがあるのか,を考えてみるとよいでしょう。 理由は2つほど考えられます。

  1. 自家受粉の方が他家受粉よりも効率がよい。すなわち,確実に受粉できて子孫を残せるチャンスが大きい
  2. 有害な遺伝子を持たない個体群にとっては自家受粉は続きやすい

2番目について補足します。自家受粉に代表される近親交配は, 劣性遺伝子を発現しやすくするため,悪い遺伝子をいぶり出すという効果があるのです。 ブリーダーはその効果を知っているのでしょう。植物や家畜の近親交配を繰り返し (悪い遺伝子を取り除くため), その後,遺伝的多様性を取り戻すために, 他の遺伝子を持つ個体と交配させるということを繰り返すのです。

長い進化の歴史 (有性生殖が始まったのは15億年前と言われています。 なぜ有性生殖が始まったのかはナゾですが,有性生殖になると進化が加速されることだけは確実です。この進化論的計算についてもこの授業で取り上げる予定です)の中で, 植物は自家受粉して子孫を増やし, ときどき他家受粉して遺伝的多様性を確保するという進化戦略を採用することで, 今日に至ったということでしょう。 以上が,自家受粉が必ずしも進化的に不利ではないという理由のように思われます。

不利フリして(ダジャレかよ?), 実はそんなことはないというわけです。 植物は決して, 目先の子孫を残す効率の良さだけにフリ(振り,オイオイまたダジャレかよー)回されて自家受粉を繰り返しているわけではなさそうですねー。

脱線します。子孫を残す効率と言えば人間も例外ではないわけですが.... リチャード・ドーキンスというイギリスの動物行動学者(「利己的な遺伝子」などの著書で知られる)は, 自然選択の実質的な単位が遺伝子であるとする遺伝子中心説をとなえました。 生物は遺伝子によって利用される「乗り物」に過ぎないというわけです。 この考えは,我々人間にとっても例外ではありません。 人を愛する心,子を産み育てようとする心は崇高な精神であろうと考えられています (やっぱ結婚したいですか?子ども欲しいですか?)が, 実は遺伝子がそうさせているとも考えられるわけで,多くの人に衝撃を与えました。 (さらに脱線しますが, ドーキンスには「神は妄想である」という世界的ベストセラーもあります。 科学的精神こそが唯一真に普遍的かつ合理的なものであり, キリスト教をはじめとする宗教はそれに反する邪悪なもので, 人類の進歩にとって有害であるとしています。さらに,宗教教育についても 批判の俎上にあがっており刺激的な本です。どう考えますか? この大学はキリスト教理念に基づいた教育理念を持っていますので, キリスト教を邪悪であるとする考え方を紹介するのは問題ありかも知れません。 ですが,多くの人に衝撃を与えた考え方ですので紹介しておきます。 どう考えるかはあなた自身で決めてください。)脱線終わり。

本当は,この話を書いたら,ハチ (女王バチを中心とした女系社会で,構成員である働きバチは遺伝的に均質) やアリがなぜ, しばしば女王バチは一度だけ交尾したオスの遺伝子を持つ子だけ生み続けるのか, についても言及する必要があるのですが,時間が足りないと言うことで勘弁してください。m(__)m ということで, アリの話はアリ(また寒いダジャレを飛ばすー^^;) ませんでした。最後まで読んでいただいてアリ(何度もするなー)がとうございました。